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安全性

自然災害と欠陥住宅と 山川設計のポリシー

今年もはや3月に入りまして、日に日に暖かくはなってきました。でも、まだ寒い日もあって、陽気がいい小春日和のような日があったと思えば、また冬の日の冷えた風に引き戻されたり、この時期、体調を乱しがちな気がします。それにそろそろ花粉が飛散しているのは、毎年この症状に悩まされる私には、鼻がムズムズしてきたり、憂鬱な季節でもあるんです。

それに先日のチリ地震による、津波警報が全国に走ったのは、週末の休日のテレビを賑していたのでリアルタイムに視ていました。幸いにも、国内の被害は些少だったようですが、海外とはいえ、チリでの災害被害の大きさは、神戸大地震のことも想い出されて、いまさら自然災害の恐さを感じました。欠陥住宅建築のような人為的な要因が、その自然災害を助長していたとしたら、許せない犯罪行為といえます。山川設計のように、安全性への問題意識を大前提として、その上でのコスト管理、デザイン性の追及をポリシーにした建築設計がユーザーの求めるものですね。

山川設計のポリシーが 欠陥なき永続性

一般の住宅建築において問題になるような、欠陥といってもいろいろあるでしょう。

具体例とすれば、建築された住宅に現われる、床のきしみ。壁のひび割れ、家の傾き、雨漏り、とか。これらは住む人が居住して初めて、身に感じたり、視えてくることで、建てたばかりの建築物にはまるで感じられないものであったりするわけです。

また、通常の生活では支障をほとんど感じていなくても、10年に一度の自然災害のような大地震や、ちょっとした不注意からの火事とかに、その根本的な耐震性、耐火性等、対災害の安全性に手抜きがあった問題が露呈する場合もありえます。

あるいは建築資材や塗装材に、人体の有害な物質を発生させるとしたら、その健康被害は眼に視えぬ形でジワジワと進むものでしょう。

そう考えると、消費者としては恐ろしくなります。自分の眼で、出来栄えとして確認できにくいものですからね。

山川設計のポリシーとして、家造りにおいて、大量生産、大量販売の「供給される住宅」から、「永く愛され保存される建物」を提唱しています。

住宅建築を生産効率で考え、使い捨てのような感覚で大量生産、大量消費のように考えられたら、たまったものではありません。

欠陥の克服は日々の努力 山川設計

 

報道によれば、ハイチの大地震では、現時点での現地での推定で死者15万人ともいわれます。怪我人は、重軽傷者はどのくらいになるのでしょうか?

そしてどれだけの家庭が崩壊して、家を失ったのでしょうか?おそらくは気が遠くなるような数字で、想像を絶する惨事と思います。亡くなられたかたのご冥福をせめてお祈りするしかありません。

国際的な規模で、現地への支援、募金等の援助が行われているようですが、少しでも早くできうるかぎりの人名が救われて、復興が進むことを祈らずにはいられません。

いまさらながら、自然災害の恐ろしさ、予知できないで不意に襲われたら、防ぎようがないでしょう。

人災は努力で防ぎうるはずですが、天災は完全に逃れることは無理でしょう。それでも、かけがえのない命を守る、安全性を確保するために住宅建築技術はあるのでしょうから。予期せぬ災害も最悪の被害は回避できるような柔軟性を持った技術が欲しいですね。

欠陥を許さない、高い安全性への理想を、山川設計のような会社は求めてしまいます。日々のたえまぬ努力の姿勢です。

欠陥は無くせる 山川設計のコンセプト

 人間には長所もあれば短所もあります。

人間のやることに100%完璧なものなんてないでしょう。

だからといって欠陥ある建築物が当たり前としてあってはなりません

それは人為的なものである以上は、防ぐべきことという姿勢が貫かれているのかが問題です。

プランニングの段階から、アフターケアまで。

人間のやることですから、誤りもあれば欠点もあります。完成して、実際に住んでみたら、思っていたことと少し違っていた、良くも悪くもありですが、それは当然あると思います。

結局、防がなければならない、人為的にありうる「欠陥」とは、そこに住む人間の安全性を脅かす、日々を暮らす安心感を阻害するものであって、それこそがあってはならないものなのだと思います。

例えば、自然災害からの、耐震性や防火性、人体に有害な成分を放出するような素材が含まれていないとか。

健康で安全な生活を営める住居であることが、住まいに求めることの基本なのですから。

そのような基本的な考えが、山川設計のコンセプトにはあると思えます。

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